1.大阪城の歴史
・1496年(明応5年) 本願寺八世蓮如 大坂坊舎建立
当時、大きな力を持っていた浄土真宗本願寺派の蓮如が、上町台地の北の端に大坂坊舎を建て、そこが本願寺派の一大拠点(石山本願寺)となった。この地は、交通の便が良い・乾燥した台地・守り易い地形・商業都市堺に近い など、優れた点を多く持つ。
織田信長もこの地を何としても手に入れたいと考え、石山本願寺に戦いを挑んだ。
・1580年(天正8年) 本願寺派が退去
織田信長との10年にわたる石山合戦に敗れ、織田信長に明け渡すが、織田信長も石山本願寺跡に城を築く前に、1582年に本能寺の変でこの世を去る。
・1583年(天正11年)~1587年(天正15年) 豊臣秀吉 大坂城築城
織田信長の側近であった豊臣秀吉は、石山本願寺跡の優れた立地を生かし、織田信長の遺志を継ぎ、大坂城を建てた。
(大坂城周囲の工事用パネルから)
・1615年(慶長20年) 大坂夏の陣で落城
(大坂城周囲の工事用パネルから)
・1620年(元和6年) ~ 2代将軍徳川秀忠 3期にわたる再築
(大坂城周囲の工事用パネルから)
・1665年(寛文5年) 天守を落雷により焼失
(大坂城周囲の工事用パネルから)
・1783年(天明3年) 大手口多聞櫓を落雷により焼失
・1868年(慶応4年) 戊辰戦争の大火で、馬印櫓・月見櫓・糒櫓【ほしいいやぐら】焼失
(大坂城周囲の工事用パネルから)
・1930年(昭和5年)5月6日
~1931年(昭和6年)10月30日 大阪城天守閣の復興
(大坂城周囲の工事用パネルから)
・1995年(平成7年) ~1997年(平成9年) 平成の大改修
(大坂城周囲の工事用パネルから)
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