2-5.大阪城 内堀
2-5.内堀【うちぼり】
2-5-1.内堀
本丸を取り囲む堀で、南側を空堀とするほかは水堀となっている。寛永元年(1624)開始の徳川幕府による大坂城再築第2期工事により、豊臣時代の本丸に盛り土を施して石垣が築造された。幕府の命令によって動員された大名は豊前小倉藩細川家・加賀金沢藩前田家・因幡鳥取藩池田家・筑前福岡藩黒田家をはじめとする59家で、総延長は約2.7キロメートル、東側石垣の高さは水面から約24メートルに達する。本丸内には堀に面する石垣の角を中心に3層の櫓が11棟、2層の櫓が2棟そびえていたが、明治維新の大火により全て焼失した。
奥に見えるのは極楽橋。
2-5-2.空堀【からほり】
本丸を囲む内堀は、東から北、さらに西にかけて水堀となっているのに対し、南とそれに続く西にかけては水のない空堀となっている。
これに先立つ豊臣秀吉築造の大坂城でも本丸の南は空堀となっており、大坂の陣で徳川方が埋めたわけではない。なぜここだけ空堀としたのかは不明である。
他の堀は、地下の湧水層に達しており、水の確保ができました。しかし、この堀は他の堀よりも高い位置にあるため、湧水層まで掘るためには、あと10mは掘る必要があるようです。そのため、ここは空堀になったと推測されているようです。
--------------------------------------------------------------------------------------------------