熊野街道 佐野王子~信達一之瀬王子

  平安時代から白川上皇鳥羽上皇が京都から淀川を下り、今の天満橋辺りの「八軒家(当時は「渡辺津(わたなべのつ)」と呼ばれていた)」から熊野詣を行った。「八軒家」から熊野三山への道を熊野街道と呼びます。

 熊野街道には、「王子」と呼ばれる社が九十九あります。「王子」とは、熊野権現(ごんげ)の化身として巡礼者を守護する御子神を祀った社であり、旅の休憩場所としても利用されました。

 この「王子」を、寄り道しながら追いかけてみることにしました。

17.佐野王子

f:id:s_tenpa:20201224223841j:plain

f:id:s_tenpa:20201224223811j:plain

f:id:s_tenpa:20201226002328j:plain

佐野王子跡から元の道に戻り直進。26号線にぶつかる一つ前の信号を左折し、26号線の市役所前交差点へ。

f:id:s_tenpa:20201226002324j:plain

 市役所前交差点から少しだけ26号線に沿って進み、一つ目の左に入る道(64号線)へ斜めに入ります(上記の左斜めに進む道)。ここから、しばらくは64号線を進みます。

f:id:s_tenpa:20201226002332j:plain

少し進むと、関西空港自動車道をくぐります(葵町交差点→長滝北交差点)。まだまだ64号線。

f:id:s_tenpa:20201226002336j:plain

この辺りからしばらく、上記のような古い町並みが続きます。

f:id:s_tenpa:20201226002340j:plain

長滝西交差点を右折。大苗代方面へ。まだまだ64号線を進みます。

f:id:s_tenpa:20201226002344j:plain

両側にため池があり、その間を進みます。

f:id:s_tenpa:20201226002553j:plain

左手に、塙団右衛門(ばんだんえもん)の五輪塔塙団右衛門は、大坂夏の陣で豊臣方につき、徳川方の浅野の軍勢と戦いここで討ち死にしたと伝えられています。

ここを過ぎると、右手に「いづみモータース」のお店が見えます。

f:id:s_tenpa:20201226002557j:plain

籾井王子跡の石碑は、奥の銀色の車の向こう側の壁の右側と奥のお宅との隙間にあります。

場所がわからず、いづみモータースの方にお聞きしたところ、快く教えて頂けました。(ありがとうございます。)見に行くときは、ひと声かけた方が良いと思います。

f:id:s_tenpa:20201226002601j:plain

この土塀の右側の隙間を進むと、

18.籾井(もみい)王子

f:id:s_tenpa:20201226002605j:plain

奥に、籾井王子跡の碑がありました。

f:id:s_tenpa:20201226002613j:plain

籾井王子の碑を後にし、元の道を進むと、明治大橋が見えます。橋の左手前に、樫井古戦場跡の碑があります。先に紹介した塙団右衛門が戦った戦場の一つ。

橋を越え、道なりに進むと「信達大苗代郵便局」が左手に。その郵便局を過ぎてすぐ右に曲がって数百メートル進むと正面に厩戸王子跡の石碑があります。

19.厩戸(うまやど)王子

f:id:s_tenpa:20201226002617j:plain

f:id:s_tenpa:20201227223804j:plain

64号線をひたすら進みます。

この辺りは信達宿(しんだちしゅく)と呼ばれるところで、熊野詣でにぎわった場所とされています。古い町並みが残っています。

f:id:s_tenpa:20201227223800j:plain

この地図は、熊野街道を進むにあたって大いに役立ちます。

f:id:s_tenpa:20201226002622j:plain

信達宿本陣跡 角谷家があります。

f:id:s_tenpa:20201227223812j:plain

信達宿は、紀州街道熊野街道)と信長街道が交差しているところで、かつ信長街道の起点。そのため、常夜灯が設置されたようです。

f:id:s_tenpa:20201227223808j:plain

このような案内板は、都合3つありました。

もう少しで信達一之瀬王子です。

20.信達一之瀬(しんだちいちのせ)王子

f:id:s_tenpa:20201226002549j:plain

f:id:s_tenpa:20210107164007j:plain

現在は、地蔵菩薩馬頭観音を祀っています。

熊野街道 目次 - s_tenpa’s blog