熊野街道 池田王子~佐野王子
平安時代から白川上皇や鳥羽上皇が京都から淀川を下り、今の天満橋辺りの「八軒家(当時は「渡辺津(わたなべのつ)」と呼ばれていた)」から熊野詣を行った。「八軒家」から熊野三山への道を熊野街道と呼びます。
熊野街道には、「王子」と呼ばれる社が九十九あります。「王子」とは、熊野権現(ごんげ)の化身として巡礼者を守護する御子神を祀った社であり、旅の休憩場所としても利用されました。
この「王子」を、寄り道しながら追いかけてみることにしました。
12.池田王子
池田王子の近くには、道標もありますが、上記の看板が久米田保育園横に設置されています。
この路地の奥のお宅の庭に池田王子跡の石碑があると思われます。
(岸和田日和のブログ
https://kishibura.jp/blog/hiyori/2019/05/kishiwada-manpo.html#gsc.tab=0
には、石碑の写真が掲載されていますが、事前に連絡し了解を取ったうえで写真を撮ったものと思います。)
熊野街道は再び30号線に戻ります。
積川神社遥拝鳥居。実際の神社はここから5kmほど離れたところにあるのですが、熊野詣の安全を神社に行くことなく、ここから祈願したとされています。
作才町交差点。ここで一旦30号線から別れ、左の道を進みます。
左手にサカイ引越センターが見えたところで右折し、土生交差点で再び30号線に合流。
GOOGLE MAPによると、このまま進むと、「道ノ池地蔵熊野街道」という場所に出るので、そちらを過ぎてから30号線に戻るルートが正しいのかもしれませんが、「大阪府都市整備部交通道路室」による熊野街道はここで右折となっています。
この土生交差点を左折し、再び30号線を南下。
13.浅字川王子
麻生川王子とも呼ばれています。
浅字川王子の場所は定かではありませんが、現在の三和製作所の場所にあったとする説が有力です。
堂ノ池交差点。ここで左折します。
右手に池(堂ノ池?)があり、その池に沿った道があります。その道を右手前に戻る感じで池沿いに進みます。
しばらく進むと「小栗街道」の道標と「熊野街道 半田一里塚」の説明板。
この茂みが一里塚。熊野街道で現存するのはここだけ。
直進していくと自動車教習所にぶつかるので、そこで右折。ここから少しややこしい。
大阪府の資料ではここで右折し、その後左折するとあるが、この横断歩道を渡って直進しても同じところに出るので、素直に突き当たりまで直進。
ここで左折。
道は右に大きく曲がっているが、その道なりにまっすぐ進む。
途中お地蔵さんを挟んで二股に分かれているところも道なり(右側)に進みます。
左手の駐車場を回り込んで、左折。
信号のない三叉路で右折。
すると正面に水間鉄道の踏切が。
奥が行き止まりになっており、右を見ると岸和田牛滝山貝塚線が見えるこの四つ角で右折。
岸和田牛滝山貝塚線をくぐる。
30号線にぶつかるがここを横断。前に見えているのが貝塚中央病院。その手前の草むらとの間に右に曲がる道がある(長谷川ノ坂)のでそこを進む。
左側が貝塚中央病院。この坂(長谷川ノ坂)を直進。
長谷川ノ坂の両側には、古い土塀等が残っています。
一つ目の信号で右折。阪和線の踏切を越えると、橋本の交差点で30号線とぶつかるので左折し30号線を南下。
イオン貝塚店が左奥に見える地蔵堂交差点を右折し少し細い道に入る。
すぐに左折し、右折できる二本目の道を右折。
14.鞍持王子
少し進むと右側にこの道標。
鞍持王子の場所も、諸説があるが、この正福寺辺りにあったとされる説が有力。
正福寺。この東に鞍持王子があったとされています。
熊野街道に戻り、少し進むと左側に南近木神社があります。
鞍持王子と次に出てくる近木王子は、現在、この南近木神社に合祀されています。
15.͡近木王子
近木王子の場所は、前述の「正福寺の隣」という説や、「吉祥園寺の南」「吉祥園寺と善正寺の間」など、諸説があるが、吉祥園寺の南の小道を挟んだ王子村字権現に王子権現社(熊野神社)があったとされており、その場所が有力。
吉祥園寺。
善正寺。
この前を通り少し進むと見出川を渡ります。渡ったところが五叉路になっていますが、右の川沿いの次の道を右に曲がります。
二つ目の四つ角で左折すると、左側に貝田町会館があります。
16.鶴原王子
今は貝田町会館となっているところが、鶴原王子跡と言われています。
四角池を右に見ながら進みます。
六叉路に出ます。上の写真の真ん中の細い道を進みます。
大藪池の交差点に出ます。歩道橋を左に見ながら道路を渡ります。
大藪池交差点を渡り、一つ目の交差点で左折します。
しばらく進むと佐野川を渡ります。
大きな赤白の鉄塔があります。ここで、鉄塔の左側の道を進みます。
右折できる一つ目の道を右折すると、すぐに佐野王子跡があります。