熊野街道 八軒家~阿倍王子
平安時代から白川上皇や鳥羽上皇が京都から淀川を下り、今の天満橋辺りの「八軒家(当時は「渡辺津(わたなべのつ)」と呼ばれていた)」から熊野詣を行った。「八軒家」から熊野三山への道を熊野街道と呼びます。
熊野街道には、「王子」と呼ばれる社が九十九あります。「王子」とは、熊野権現(ごんげ)の化身として巡礼者を守護する御子神を祀った社であり、旅の休憩場所としても利用されました。
この「王子」を、寄り道しながら追いかけてみることにしました。
0.八軒家
旅の始まりは八軒家。
八軒家には、道の駅ならぬ「川の駅」があります。ここは、大阪ダックツアーの発着場でもあります。
八軒家には「常夜燈」のモニュメントが。
江戸時代の終わろうとしている1860年に灯篭が建てられましたが、明治時代に生國魂(いくくにたま)神社に移されました。
平成二十四年に元の図面を基に復元されています。
灯篭の下部には、灯篭の説明や、熊野街道の説明が記載されています。
他にも、このような石碑や説明板がいくつかあります。
1.窪津王子(坐摩神社行宮)
九十九王子の第1社。名称は「窪津王子」以外にも「渡辺王子」「大江王子」とも呼ばれていたそうです。場所も、確定はされていないものの、「坐摩神社」にあったと伝えられています。
豊臣秀吉が大坂城を築城する際、城域にあたるた坐摩神社は、久太郎町四丁目に遷座されていますが、元の坐摩神社の場所がここ。
坐摩神社の旧鎮座地は、熊野街道から1本西の通りに面しています。なので、一度、1本東に戻り、南に進みます。
2.坂口王子(南大江公園)
しばらく南に進み、阪神高速東大阪線をくぐると、右手に「南大江公園」が現れます。
坂口王子跡は、公園の右奥にあります。
坂口王子は、ここに創建された朝日神明社に置かれていたとされています。
ちなみに朝日神明社は、今は此花区春日出中に移座されています。
南に進むと、長堀通に出ますが、熊野街道はその1本手前を左に折れ、東に進みます。
谷町筋を越え、一つ目の4つ角を右に折れると、「熊野街道」の道しるべ。
長堀通を越えたファミリーマート横にも道しるべ。これを左に見て、どんどん南に。
三叉路にぶつかります。右は空堀商店街。ここを左に曲がるとすぐに、
右に曲がる細い下り坂が。ここが熊野街道。
道しるべを見ながらどんどん南下。
この道には、昔ながらのお家や、古民家をリメイクしたお店があったりします。
「からほり推奨建物」の札が付けられているお家もあります。
おしゃれな眼鏡屋さん。
「秋村泰平堂」という会社の前に道しるべ。この会社は、ちょうちんを作って100年という会社。
3.郡戸(こうづ)王子(高津宮)
「高津」はもともと「郡戸」と記されていたものが変化したとの説。
熊野街道からは、少し西に離れたところにあります。
あくまで「推定」。
高津宮には、五代目桂文枝の碑もあります。
千日前通りを渡る交差点にも道しるべ。
4.上野王子
上野王子は、熊野街道からかなり東にはずれたところにあります。
上之宮台ハイツの入り口に
上之宮神社の石碑があります。上野王子はここにあったとされています。
上野王子から、ふたたび熊野街道に戻り南に下ると勝山通りに出ます。右に天王寺警察署があるのでそこで右折し谷町筋に。
少し四天王寺に寄り道。
王子ではありませんが、熊野詣の人々はここにも参詣されていました。この石灯篭の後ろには、「熊野権現礼拝石」があります。
この石の柵で囲まれた中にある石は、「熊野権現礼拝石」と呼ばれており、熊野詣をする人は、この石(この石の向こうに熊野がある)に向かって道中の安全を祈ったとされています。
谷町筋に戻り再び南下。
天王寺駅前商店街を抜け、JR天王寺駅の横を抜け、あべの筋へ。
「熊野かいどう」のごつごつした道しるべは昭和に作られたもの。
シュッとした「熊野街道」の道しるべは平成に作られたもの。
「松虫」の交差点。あべの筋は「玉出」の看板の左側ですが、熊野街道は「玉出」の看板の右側の細い道。そこに入っていきます。
この辺りからところどころに、この手の石板が設置されています。
阿倍野保名郵便局で、八軒家から7Km。
ペットボトルの不思議なお家を横目に。
5.阿倍王子
大阪市内に残る唯一の熊野九十九王子。江戸時代には「若一王子」とも呼ばれていました。
境内には立派な樟(くすのき)が。