裏なんば→黒門ミナミをまち歩き!!
概要
大阪市が「いちょうカレッジ」というものを開催していることを、区役所に置いてあるパンフレットで知りました。
今回は第2回「裏なんば→黒門ミナミをまち歩き!!」。(とは言いつつ、裏なんばはちょっとだけ)
裏なんば
そもそも「裏なんば」ってどこ?
地図上で黄色のマーカーの通りが裏なんば。
南北に延びている通りが2本。そのうちの西側が「西ウラなんば筋(東道具屋筋商店街)」、東側が「東ウラなんば筋」。
東西に延びている通りは5本。北から「ウラなんばノース(北)通り」「ウラなんば本通り」「ウラなんばサウス(南)通り」「ウラなんば河原通り」「ウラなんばアルサン通り」。
ウラなんばに行く前に、先ずは戎橋筋商店街。
戎橋筋商店街
皆さんご存じの「551の蓬莱」。その北にも、マクドナルドを挟んで「蓬莱本館」があります。この2件の「蓬莱」、創業を辿れば同じところに行きつくのですが、途中で分かれ、今はまったくの別会社。作り方や味も異なる「豚まん」を販売しています。
その南東角には、「とらや商店」と「大寅」。
「とらや商店」は昭和27年創業の生地のデパート。中は3階までお店が。生地や服飾雑貨満載。
「大寅」は、も一つ古い明治9年創業の蒲鉾の老舗。
その角を東に折れると難波センター街。
難波センター街
「とらや商店」の横が「シバチョウ」。
「シバチョウ」は「大寅」よりさらに古く、明治3年ごろの創業とのこと。お店で買ったお酒を飲める角打ちで有名。看板に年期が入っています。
東に少し進むと、「精華通り」とクロス。「精華通り」の南側には創業昭和21年の「重亭」。昔ながらの洋食屋さん。
もう少し東に進むとカレーの「自由軒」。明治43年創業。「夫婦善哉」の著者、織田作之助作「夫婦善哉」の中にも登場する有名なカレー。船場にも「せんば自由軒」がありますが、元を辿れば同じルーツ。それぞれが「元の味を受け継ぐ」とホームページで謳っています。
もう少し進むと、千日前商店街とクロス。その先が「ウラなんばノース(北)通り」。ここではウラなんばに行かず、千日前商店街を南に。
千日前商店街
元禄寿司は、回転ずしの元祖。昭和33年に東大阪1号店で回転ずしを始めたそうです。
元禄寿司もそうですが、なんば近辺のお店には立体的な看板のお店が多い。理由は諸説あるようですが、ブラタモリでは、江戸時代、道頓堀沿いにあった芝居小屋では、立体的な看板で芝居の内容を表現してお客さんを呼び込んでいたとのこと。立体看板はその名残との説が紹介されていました。
「いちびり庵」を南西(なんば南海通り)にちょっと寄り道。
創業対象8年の波屋書房。ここは、料理書の専門店。昔は普通の本屋さんだったそうですが、料理書専門にしたところ、多くのユーザーから支持されています。
千日前商店街に戻り、少し進むと
最近、世間を賑わせている吉本の聖地「なんばグランド花月」。
「なんばグランド花月」を左に見て、もう少し進むと「千日前道具屋筋商店街」。
千日前道具屋筋商店街
食品サンプル専門店があったり、
千日地蔵通横丁があったり、
包丁専門店、「堺一文字光秀」があったり。
一旦、なんさん通りまで出て、一本東の通り「西ウラなんば筋」を北に。
西ウラなんば筋
吉本の芸人さん御用達「千とせ」
はらみ丼で列ができる「DININGあじと」
「なるみ・岡村の過ぎるTV」でも紹介された、吉本芸人御用達のパン屋さん「シャンピニオン」
今、話題の吉本興業。
そのまま北に進むと、「ウラなんば本通り」とぶつかるのでそこで東に。
ウラなんば本通り
ここには「味園」が。
「味園」という宴会ができるお店を中心に、ビル内には数十のアンダーグラウンドなお店が。
黒門市場
黒門市場は、一時期、お客さんが減り、乾物屋さんなどは閉店の危機だったそう。そんな時、インバウンドの波が。
海外の観光客がバスで移動するときに困るのがバスの駐車場所。大阪城には専用の駐車場があるものの、難波界隈では専用の駐車場がなかったため、堺筋の日本橋駅そばに観光バス乗車場所を設定。観光会社は、その乗車場所近辺の観光場所として黒門市場にスポットライト当て、そこから黒門市場のインバウンド化が急速に進んだという話。
何千円もする魚介類や「うに」が飛ぶように売れ、お土産として乾物もバカ売れ。そのお陰で、黒門市場は復活。
黒門市場の由来
昔、堺筋に面したところ(今の「大丸白衣」のあたり)に「圓明寺」という寺があり、そのお寺の門が黒かったため、「黒門市場」と呼ばれたことが起源の模様。今はその痕跡も無いため、市場の南側入り口を黒い門にしています。
黒門市場で上を見上げると、大きな蟹や蛸が吊るされています。当初は、何年かおきにローテーションをする予定だったようですが、ローテーションは想定以上の作業が必要となり、結局、初めのままの位置で今に至っているようです。
以上